『愛子天皇論』を連載していても、他の時事問題や、
フランスの中絶禁止や、キャンセルカルチャー問題や、
保守・リベラルとは何か?などの抽象思想も描かねばならない。
単行本では『愛子天皇論』のタイトルでも、時事問題、
思想問題も収録する。
そうしなければ、常に生起する時事問題を無視しなければ
ならないし、『愛子天皇論』を描いている最中の時代性が
希薄になってしまう。
よしりんバンドによる「歌謡曲」の活動も、「公的」なもの
であり、決して「私的」な遊びではない。
わしが「公開」している活動で、「私的」なものなど、
ひとつもない。
全て「公共性」に影響を与えようとする「表現活動」なのだ。
わしの「私的」活動は、テレビ番組を見たり、病院に行ったり、
美容室に行ったり、妻と食事したり、買い物するときくらい
しかない。
それでもその全てが、実は「公的」活動に繋がっているので、
プライベート・エッセイから、時事問題までを「愛子天皇論」
の中に描いていく方が自然なのだ。
したがって、「ゴー宣DOJO」でも、多様なテーマを扱わねば
ならない。
茅根ゴー師範から聞いた話だが、西部邁は時事問題こそが
思想の実践だと言っていたらしい。
専門知よりも総合知の方が大事だと言っていたから、西部氏は
かなりわしに近かったのかもしれない。
『ゴー宣』は「総合知」として機能せねばならない。
したがって『愛子天皇論』の中に、時事問題も収録していい
のだ。
むしろわしは「保守」の実践を常にやっていかねばならない。
「保守」は理屈で説明するよりも、自分の「振る舞い」で
示していくしかない。
小林よしのりの「振る舞い」から、今の人たちが何を感じ、
後世の人たちが何を思うかだ。